プロフィール







自画像
本名 関直美。

昭和37年7月7日、青森県青森市堤町 関ガラス店に長女として生まれる。聖マリア幼稚園、青森市立堤小学校、青森市立浦町中学校、私立青森明の星高校を次々と順調に卒業し、上京。

一年間の予備校生活を経て、法政大学第二文学部日本文学科に入学。学校へはあまり行かず、1ヵ月ほどバイトをしては2ヶ月間暇をむさぼるというローテーションで自堕落な生活を満喫。二十歳を迎え、世はまさに80年代初頭のコピーライターブーム。友人に教えられて「広告学校」というコピー学校に通う。しかし、通ったからといってどうなるというような学校ではなく、3ヶ月ほどの受講期間が終わるとまた元の生活に戻る。

そのうち暇のむさぼりかたにもバリエーションが見られるようになり、数々の暇つぶしのひとつとして消しゴムではんこを作ってみる。この頃は「絵を描く」ということは頭のすみにもなかったため、雑誌などで見つけた気に入ったイラストをトレースして下絵にしていた。ちなみに第一作はかねてつデリカフーズのシリーズ広告「啓蒙かまぼこ新聞」のキャラクター「てっちゃん」だった。

そのうち、下絵も自分で描くようになり、その頃読んでいた花登筐の小説にインスパイアを受けて「丁稚シリーズ十連作」を制作。友達に押してあげたりしていたところ、それがえのきどいちろう氏の目に触れ、当時氏の所属していた編集プロダクション「シュワッチ」に誘われプロの消しゴム版画家となる。

しかし、当時22歳の(学校には行ってないながらも)学生、その上消しゴムを彫ることが生業になるなどとは誰も考えなかったため、みんなふざけ半分であった。本人もアルバイトぐらいにしか思っていなかったが。

そして「なんかさ、そういうほうが、ぽいじゃん。」という理由で当時「ホット・ドッグ・プレス」編集者だったいとうせいこう氏に「ナンシー」という名前をつけられる。ギャラをもらった初仕事は「ホット・ドッグ・プレス」誌上での挿し絵「あっとおどろくタメゴロー」(by ハナ肇)。全然似てなかった。遅れてコラム等の執筆もするようになる。

以降、雑誌を中心に活動。現在に至る。